投稿

10月, 2026の投稿を表示しています

「親日派」の家系を裁く前に――植民地社会を生きた人々の「現場のロジック」

  「親日派」の家系を裁く前に――植民地社会を生きた人々の「現場のロジック」 (1)祖先の行為と、子孫の責任 2026年8月、韓国の女優ハヨンが紹介した医師の家系をめぐり、曾祖父・安商浩の植民地期の行為が争点となった。 安商浩は、近代医学を学んだ医師として紹介される一方、日本統治への協力を疑わせる経歴も問題視されている。報道によれば、ハヨンの所属事務所は当初、疑惑を否定したものの、後に1916年の大正親睦会評議員名簿に安商浩の名があることを確認し、説明を訂正したという。ここには、具体的な史料に即して検証すべき問題がある。しかし、祖先の行為を検証することと、その子孫を血縁だけで非難することは、同じではない。 家族の功績を公に紹介したなら、その説明の正確さは問われてよい。紹介された人物の不都合な経歴について、説明を求めることもありうる。だが、曾祖父の行為を、ひ孫本人が行ったかのように扱うのは筋違いである。 祖先の功績を自分の名誉として語ることには検証が伴う。しかし、祖先の過失が血を通じて子孫に移るわけではない。功績の検証と、責任の世襲を混同してはならない。 イ・ジアの例も考えさせられる。2025年2月の声明で、彼女は2011年の報道を通じて祖父の行為を知り、民族問題研究所を訪れて資料を確認したと説明した。そのうえで祖父の行為を批判し、謝罪の意思を表明している。この声明をどう評価するかは別として、子孫が資料を調べ、自分の認識を示すことと、祖先の行為について本人同様の責任を負わされることは、区別すべきであろう。財産の由来や継承された利益が問題なら、それも具体的に調べればよい。家系そのものを汚点とする必要はない。 歴史的責任を血統で相続させるなら、歴史研究はいつしか家系の取締りになる。 (2)「親日」という判定の前に、現場を問う この論争に発言した朴裕河氏は、植民地社会で指導的な立場にあった人々と統治体制との構造的な関係を指摘し、祖先の行為を理由とするハヨンへの非難を批判したと報じられている。 私がこの問題提起から受け取りたいのは、次の問いである。 植民地社会における人間の行動を、個人の道徳性だけで説明してよいのか。 日本統治下では、政治・教育・経済・文化の諸制度が植民地統治の枠組みに組み込まれていた。その社会で学校に通い、職に就き、商売をし、出版や医療に携われば、程...